始めに
今回は戸籍上の性別変更を発表した若林佑真さんの女性時代のことについて解説しようと思います。
彼が幼い頃どのような苦悩をし、どう男性になり得たのかをお話しします。
若林祐真プロフィール
まずは簡単に若林佑真さんのプロフィールを紹介します。
・若林 祐真(わかばやし ゆうま)
・兵庫生まれ、大阪育ち
・32歳 1991年<平成3年> 11月5日生まれ
・身長 156cm 体重 不明
・俳優 タレント
生まれたときに割り当てられた性別は女性で、性自認は男性のトランスジェンダー男性でした。俳優・タレント活動、舞台のプロデュースうあジェンダー表現監修、演劇媒体「Pxxce Maker’」(ピースメーカー)の代表、その他「LGBT+」に関する講師など、活動は多岐に渡ります。
若林 佑真の女性時代
次に彼がどのような人生を送り、性自認が男性へと変化していったのかを説明します
幼少期
彼は小さい頃お父さんが大好きで”パパっ子”だった彼は「お父さんと同じものが欲しい」という理由で男の子っぽい服を着ていました。
そのため、幼少期は「自分の性自認に違和感があった」のではなく「大好きな父と同じものが欲しかった」という感覚のほうが大きかったのです。
そんな中、自分の性自認に違和感を感じたのは小学5年生の時、初めて”女の子が好きになった時”でした。
少年期
小学校高学年になると、よく女友達との会話で好きな男の子の話になりました。ここで好きな女の子の名前を出すと変な空気になるため、しぶしぶ男の子の名前を絞り出していました。
それからも好きになる子は女の子で「自分はレズビアンなのか、バイセクシュアルなのか」と、自分はいったい何者なのか、性のあり方に悩む学生時代を送りました。
青年期
高校3年生の時、トランスジェンダーの存在を知り、「自分は、間違いなくこれだ!」と確信しました。彼が自分の性をじにんしたきっかけはこの時です。
大学1年生の時、大学病院の精神神経科に通い、「性同一性障害」の診断書をもらいました。その当時、今のようにネットが普及しておらず、ホルモン注射を始めようと決断できませんでした。
「寿命が縮まるのでは…」「健康が失われていくのではないか…」「1度打ったらもう後戻りはで着ないのではないか…」という不安が押し寄せ、約半年間悩む期間が続きました。
そして、病院の先生からメリット、デメリットを聞き、心から「ホルモン注射を打ちたい!」と思い、打ち始めました。
彼はその日から今日に至るまで、ホルモン注射を打つ選択をしたことは一度も後悔してません。でもそれはあの悩む期間があったからです。
彼は内心では「早く見た目を男性化したい!」と焦っていましたがそこで半信半疑のまま始めず、勇気を持って決心がつくまで待ったことは、後悔のない人生を送るためにもよかったなと思っています。
現在
現在彼は
- ホルモン注射
- 乳腺摘出手術
- 乳頭縮小手術
の治療を行いました。
見た目が男性として認識され自身が持てるようになりました。また、毎月絶望していた生理も止まり、人前で上半身裸にあなれるし、銭湯に行けるようになりました。好きな人と裸で抱き合えるようにもなりました。このように治療する前よりも確実に理想の自分に近づいているし、何より人生が楽しくなりました。
ですが副作用により、顔や体がニキビだらけになったり、思った毛むくじゃらになったり、髭は生えすぎて青髭になったりと嫌なこともあります。
ホルモン注射により肩こりがひどくなりました。整骨院に通うだけでは事足りず、ずっとサロンパスを貼っていました。
そして、打ち始めて数年が経った頃、急に言葉が出にくくなり、つっかえるようになりました。言葉を生業に仕事をしたいと思っていためそれが何よりもショックでした。
このようにいいことばかりではありませんでした。でもホルモン注射は人によって個人差があります。
彼が打ったからと言って全員に起こるとは限りません。
その結果、なにか問題が出てきたら対応していく、そうやって自分の体と付き合っていこうと思えるようになりました。
戸籍上の性別変更
そんななか彼は2024年の9月24日に自身のXにより戸籍上の性別が女性から男性に変更されたことを公表しました。
若林はこの日、自身の写真と東京家庭裁判所からの書類を添えて「この度、裁判所からの許可が下りまして、戸籍上の性別が女性から男性に変更されました。トランスジェンダーだと認識してから、15年。言葉では表し切れない思いがこみ上げてきますがとにかく感謝の気持ちでいっぱいです。今後も益々精進しますので、引き続きよろしくお願いします!」と記しました。
最後に
以上が若林佑真さんについてでした。
この戸籍上の性別変更はよりセクシャルマイノリティが社会的にも許されるようになったということであり、とても喜ばしいです。
自分のありのままの姿、考えが社会に認められ生きていくことができることが当たり前になるように祈っています。
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